最近とても暇だから、昔のことを思い出す。思い出すといっても、もう40年も前のことで記憶もうっすらだ。当時、27歳の俺はとにかく独立精神旺盛で、自分の会社を持つことを夢見ていた。

家内も子供もいるのに、何を血迷うたか!って両親に言われたことをよく思い出す。おまけに、コネで入社したアパレル会社にも失礼だと。

しかし、俺はそんなことを耳にもかさず実行したのだ。なんの当てもなく独立するなんて危険きわまりないって自分でも感じていたのだが、こればっかりは本能ですな。

会社を辞めると決めたとき、思い出した言葉は、「立つ鳥跡を濁さず」でした。今の若者は平気で、辞めるそうだが俺の時代はそうでは無かった。まだ、義理なんて言葉が横行してたから。

会社に報告して、辞表を書き提出。その後のことはよく覚えていない。

あんなむさ苦しい会社を早く出たかったのだ。封建的で自由な仕事もさしてもらわず、毎日毎日、倉庫整理。
当時は高級だったオペルカの靴も台無しでした。

その後は、仲間と事務所探しや、車の購入などなど、毎日を死ぬ気で働きました。何が目的で何処ヘスs米倍以下も分からずに。馬鹿の集団だったのですね。

何をしていく??って方針と方向性を話し始めて、約半年後、思い立ったのは、店舗の什器販売とメーカーの展示会企画でした。

最初は、レンタル什器を安く借り、それを上乗せした今額でメーカーさんにレンタル。普通じゃちょっとお高いけど、平面プランなど展示会スペースのプランがあったから、メーカーさんも快諾してくれました。

まぁ、とにかく若かったから少々寝なくても、毎日元気はつらつでしたから。そして学生気分のノリってのがあったかや余計に仕事で弾みが付いたんですね。

27歳~30前までそんなことをして、生活していました。貯金も底をつきかけていましたから必死でした。よかったことといえば、親との同居生活です。

親父もお袋も、俺の性格を知っていましたから、協力的でした。しかし、家内の方はそうでも無かったようです。
息子も5歳になってなってましたが、着せるモノが無いと嘆いていましたから。友達の子供のお古を貰ったりしてましたから。

今思えば、懐かしいといっている俺に、「男は良いね、自由だから」なんてね!

でも、今は成功したとは言えないが、お金には特に困っていないし、借金も無いしね。いずれにせよ、このまま、仕事が暇であって欲しいと考えます。仕事があれば、ちょっとだけでいいです。

以上、思い出話でした。

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