原題:Topio Stin Omichli 製作年:1988年 製作国:ギリシャ/フランス/イタリア
上映時間:127分  ジャンル:ロードムービー/ヒューマンドラマ 私のおすすめ度:★★★☆☆/3.8

果ての見えない霧の中で、子どもたちは“父”を探しながら世界の残酷さと優しさに触れていく。

作品解説・コメント

テオ・アンゲロプロスの映画には、観る者を時の流れから切り離し、映像そのものを詩のように感じさせる力がある。本作もその代表作であり、霧に包まれた風景と孤独な兄妹の姿は、まるで夢の中にいるかのような錯覚を呼び起こす。

主人公アレクサンドロスとヴォウリは、存在すら確かでない“父”を探すため、国境を越えて旅に出る。その旅は希望に満ちたものではなく、むしろ冷たく厳しい現実が彼らを待ち受けている。

けれども子どもたちは歩き続ける。純粋さゆえに無力でありながらも、その目には大人が忘れた“世界の本当の姿”が映っている。

映像はゆったりと、時に痛いほど静かに進むが、観る側にとっては挑戦でもある。その長回しの中に人生の重みと儚さが刻まれている。

心が揺さぶられるのは、説明ではなく沈黙の中で語られる“人間の孤独”に触れるからだろう。

《見どころ》
兄妹がひたすら霧の中を歩いていく姿は、観客の胸に焼き付く象徴的なイメージだ。旅の途中で出会う人々は、優しさと残酷さを併せ持ち、子どもたちに現実の重さを突きつける。

中でも、暗闇から現れる巨大な“手”のオブジェは、言葉を超えた映像の詩であり、映画史に残る名場面として語り継がれている。

動画とあらすじ

《動画・あらすじ》
ギリシャの小さな町に暮らす兄妹アレクサンドロスとヴォウリは、会ったことのない父を探すため、ただ“ドイツにいる”という噂だけを頼りに旅立つ。列車に乗り、見知らぬ人々に助けられ、時には拒絶されながら国境を越えて進んでいく。

その道程で彼らは、善意と悪意、希望と絶望を次々と体験する。子どもたちの無垢な目には、それらがすべてむき出しに映り、やがて旅は“父を探す物語”から“世界の真実を知る物語”へと変わっていく。果ての見えない霧の中で、二人がたどり着いた答えは何だったのか──。

作品データ

《スタッフ》
監督:テオ・アンゲロプロス
製作:エリック・アントニデス
脚本:テオ・アンゲロプロス、トニーノ・グエッラ、タナッシス・ヴァルタジス
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:エレニ・カラインドロウ

《キャスト》
ミカリス・ゼケス(アレクサンドロス)
タニア・パライオログル(ヴォウリ)
ストラトス・ツァルヒアス
ディミトリス・カトラリス

《こぼれ話し・裏話》
📌 第45回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。アンゲロプロスの国際的評価を決定づけた。
📌 撮影監督ヨルゴス・アルヴァニティスの長回しは、まさに“動く絵画”と呼ばれるほどの美しさを生み出した。
📌 音楽を担当したエレニ・カラインドロウの旋律は、静かな旅に寄り添い、観客の心に残る余韻を強めている。

《原題の意味合いとは》
ギリシャ語「Topio Stin Omichli」は直訳で“霧の中の風景”。しかし、ここでいう“霧”は視界を遮る自然現象以上の意味を持ち、不確かな未来や大人たちの虚構を象徴している。兄妹の見つめる“風景”とは、人生そのものの暗喩でもある。(英題:Landscape in the Mist)

《総評として》
『霧の中の風景』は、単なるロードムービーではなく、“人生そのもの”を映し出す映像詩だと感じる。霧に包まれた風景の中を小さな兄妹が歩き続ける姿は、私たち誰もが抱える“答えの見えない人生”の寓話に重なる。

ときに優しく、ときに冷酷に彼らを迎える世界は、そのまま現実の社会であり、人間の在り方そのものだ。

確かにテンポは遅く、説明的でもなく、観る者を突き放すようにも思えるが、その静寂の中にある“間”こそが大切で、観客に自らの感情を重ね合わせる余白を与えてくれる。

観終えたあとに胸に残るのは悲しみや虚無だけではない。人はなぜ生き、なぜ旅を続けるのかという根源的な問いと、そこにほんの小さな希望の光が射す瞬間だ。

この映画は、霧の向こうにある“見えないもの”を見つめる勇気を与えてくれる。美しいだけでなく、観る者の心に長く滞在し続ける作品である。と言いたいところだけど,見るのに疲れたって感じだった。

爺さん頑張ってます!
↓ ↓ ↓
にほんブログ村 シニア日記ブログへ